年賀状
おしゃべりな奴は嫌いだし、飲みにあまり行かない等、
他人との交流には重きを置いていない俺だが、年賀状は書くようにしている。
人との会話する場合、会話する相手を拘束することになるので、
あまり不毛な会話や自分だけ主張している会話は、相手側に対し失礼だと思っている。
その分、年賀状だと、自分の主張を相手を拘束せずに、相手のタイミングで見ることが可能だし、
コメントいっぱい書いても鬱陶しさが激減するので、
人との会話等で、会話する相手に気をつけている俺としてはいい。
本当は送りたい人もっといるんだけど、そのためには、送り主にその住所を聞くことになる。
この数年、個人情報の流出に敏感な傾向にあるので、
その年賀状を書くだけのために個人情報である住所をそれだけのために聞くのは相手から警戒をもたれたりされ、
今後の人間関係上、望ましくないと思っており、いささか気後れしている。
メールもありがたいが、やはり、年賀状の方が嬉しい。
そう感じるのは、やはり手間暇かかっている方がありがたいと感じるからだろう。
(少し盲目的なところもあるが…)
年賀状送ってくれた方、ありがとうございます。
※ 痛い宛先欄で送ってきた約1名除く。
今年も宜しく。
自社のグループウェアにアクセス不可能となった事件
自社のグループウェアにアクセス不可能となった。
そのグループウェアには、WEBによるインターネット経由でアクセス可能(https)だが、
当然誰でも利用可能とさせるわけにはいかないので、システム側で利用するユーザに対し認証を行わせる仕組みとしている。
その認証について、HTTPのBASIC認証とそのシステム側での認証と2段階で認証する仕組みとなっており、
それをくぐり抜けることにより、グループウェアを利用可能となる。
iPhoneからアクセスしていたのだが、今回そのようになったポイントとしては、ブラウザにSafari(Ver8.0)を利用していたこと。
BASIC認証でログインに成功した場合、ブラウザ側で一時的にIDとパスワードを記憶しているが、
SafariにはそのIDとパスワード記憶が行われない。
※ パソコン版(Ver7.1)で普通に使えていたし、iPhoneからだってiOS8にアップデートする前は普通に使えていたのだが…
そのため、ログイン成功したとして、
そのグループウェア内で何かしらの操作をするごとに、当然サーバにリクエストを送ることになるのだが、
その際、ブラウザ側でBASIC認証のIDとパスワード記憶していないために、
再度、BASIC認証のログイン画面が表示され、IDとパスワードを入力するはめになる。
すなわち、何か行うたびにいちいちBASIC認証のログイン画面が表示され、
IDとパスワード入力を促されることになる。
厳密なオペレーションは覚えていないのだが、そのいちいち表示されるログイン画面で何回か入力を誤り、
その結果システム側で認証試行回数超過と判定されたようで、
付与されているアカウントからのアクセスを遮断されてしまった。
翌日には復旧したが…
まあ、他のブラウザを使えばこの事象は発生しないので大丈夫。
以上。
「◦◦さんもダメだと言っていた。」とかいった発言。
よく議論する際に、たまに出てくる「◦◦さんもダメだと言っていた。」とかいう発言。
好きになれない。
といっても、「お前だって言ってんじゃねーか。」とか言い返されるとそれも事実で、
俺もついついこういう発言してしまうこともあったりする...orz
ただ、俺が好きになれないのは、少し違った意図でその発言をしている奴。
そいつは、発言することの本来の目的である、
「その発言によって、現状をより良いものにしたい。」ことを目的で発言をしていない。
そいつの狙いは、ただ一つ。
それを言うことで、これみよがしに自分の存在意義をアピールしたいだけ...
したがって、当然その発言そのものには自身のメッセージは存在しない。中身がない。
また、もしその発言が誤っていたものだとしても、自分自身にその発言責任はこない。
この場合だと、その責任については、「◦◦さん」にポイントが向く。
このように、主体となるものが発言した当人以外のものに向けられるようトリックが仕組まれてて、
自然とそれにに引っかかる。
その発言をする奴は、そんな狡猾な計算も考えに入れている。
ひな壇の上から意見なんて、聞くに値しない。ただのノイズ。
ノイズが大きいコンポは修理するか捨てるに限る。
しかし、今はゴミを捨てるにもコスト(お金)がかかるこのご時世。思わずため息がでる。
「最近の部下は精神面が弱い。」のか?
よく、「最近の部下は少し怒っただけで、意気消沈したりして、その後うまくいかなくなる。」というのをよく聞く。
確かにそれは、怒られた部下自身の精神面にも原因があるのかもしれない。
しかし、怒られた部下のその後の動向について、適切に評価しない上司にも問題があると思う。
怒った後、その部下が時間を要して良い方向に進んでいても、それを上司がきちんと見て、評価しているのか?
その部下の「反発係数」を正しく評価しているのか?
むしろ、そうでないのが多いように思う。
要は、怒られただけで反発されたり、意気消沈するようになったのは
部下の問題ではなく、上司が自分の都合だけで部下を怒鳴ったりしているのが
原因なのではないかと考えている。
それはすなわち、自分の都合だけで部下を操っているということであり、
部下を人格を無視した道具として操っているということ。
それでは、部下のスキル、モチベーションは低下することはあっても向上することはない。
「部下が伸びてこない。ついてこない。」と思っている上司、リーダ、同僚の方々。
あらためて考えて欲しい。
最大公約数?。最小公倍数?
会議とかでおのおの異なる意見が挙がった場合、
その異なる意見の中から、共通である意図をピックアップしてまとめたものを「最大公約数」と表現していた。
しかし、人によってはそれを「最小公倍数」とか言っていたりする。
どっちが適切なのだろう。
俺は、最大公約数の方が適切だと思うのだが…
終わりのないゲーム
よく、やり込み要素を盛り込んだエンドレスに楽しめるゲームってあると思うけど、
ああいった系のゲームって好きになれないんだよね。
やっぱりエンディング見たいのよ。達成感に浸りたいのよ。
ロングセラーになっているものや、もはやアートの領域にまで達している名作ゲーム。
それらは全て、ドラマや小説のような最後にあっと驚く結末や、爽快感を与える映像、音楽等、
そこまでゲームをプレイしたプレイヤーのステータスを上げるようなエンディングが必ず存在する。
要はゲームの終了するところについてちゃんと考慮されて構成されている。
終わりのないゲームなんて、アートでもエンターテイメントでもない。
ただの暇つぶしの作業。
以上。
追伸 : 久々のブログ更新。
おしゃべりな人間
やっぱりおしゃべりな人間にはあまり好感もてないな。
こちらの状況を考慮せずに、ズケズケズケズケとあれこれ話しかけてくる。
その話が聞き手を意識していない内容、話し方なので、話しかけられるほうからしたら結構負担である。
しかも、一度で終了せず、結構長びく傾向が多い。
逆にこちらの話には耳を貸さず、自分が話したいことを一方的に話す。
また、そういうおしゃべりな人に限って、逆に他の人から長々話をされてきたら不愉快になってたりする。
要は、そのおしゃべりな人は、「俺は正しいんだ。」、「俺は仕事出来るんだ。」、「俺は頑張っているんだ。」といった、
自分の自己顕示欲を満たしたいだけに話をしているようだ。
結局のところ利己主義で、自分の都合でしか行動していない。
本来、会話というのは話し手、聞き手双方のためとなるべき行為なのに、ずれているように思う。
以前一緒に作業していた上司で、必要以上に打ち合わせを開いて、1、2時間くらい長々話す人がいた。
こちらとしてはその時間をもっと有効なものに利用したいのに、それがそがれるのは残念に思っていた。
それと、拘束されていることにフラストレーションが蓄積していた。
もっと参加者の状況を考えて欲しかったととみに思う。
この「おしゃべりな人間は好きではない。」という思い、きっと死ぬまで変わらないだろうな。
久々のブログ更新。