impedance(インピーダンス) 全てに抗え!!

この世の全てに歯向かい、抵抗することでしか存在を見いだせない愚直な漢のオルタナティブ? ブログ

マンガン電池の行方

最近、マンガン電池見なくなったよなぁ。ととみに思う。

 

テレビのリモコンの電源が切れたので近くのコンビニで補充しようとしたら、

アルカリ電池ばかりでマンガン電池は売っていなかった。

 

確かにアルカリ電池の方がマンガン電池に比べ、パワーがあって、かつ、長時間の放電に向いているんだけど、

テレビのリモコンってそんなに長時間電気を使うわけではないので、マンガン電池がピッタリなんだよね。

 

価格もアルカリ電池よりもリーズナブルだし、まだ需要はあると思っているんだけどね。

メッセージサービスの矛盾

相手に意図を伝える際、同じ思いを言葉として伝えるにしても、

「話す」のと「書く」のでは、その成り立ち方は異なる。

 

その証拠に、友人との会話をテープレコーダに録音しておいて、その内容をそのまま文章に起こしてみるとよくわかる。

ほぼ間違いなく支離滅裂な文章が完成する。

 

「話す」について、「書く」に比べ意図を早めに伝えることが可能で、また、無意識にその即効性を求められる。

 

その特性上、使われる言葉のついてはその正確性よりも、それを発信するタイミング、スピードが重要だったりする。

また、「話す」において、実際のところ、言葉だけで意図のやり取りをしておらず、

会話する際の身振り手振りや当事者間で置かれている状況等の外的要因が、無意識に有効活用されている。

そのため、言葉が細かいところで意味が誤っていたとしても、

当事者間の頭の中でうまいこと訂正され、適切に意思の通達が行える仕組みとなっている。

 

よく言われる「話し言葉」とは、あまり時間をかけられずに瞬発性を求められる

「話す」行為において、適した言葉なのだと思う。

 

それに対し「書く」については、「話す」に比べ、言葉の正確性が求められる。

それは、「書く」手段での当事者間の意思疎通する場合、共有している状況に相違が発生する可能性が高く、

そのことにより「話す」際に無意識に利用していた外的要因を有効活用しにくいためである。

その分、チョイスする言葉に高い精度が求められる。

 

ただし、「書く」については「話す」に比べ、あまり意思の通達に即効性は求められない。

急いで相手に思いを伝える際、瞬間的に精度の高い文書を記載できるに越したことはないのだが、

その場合はむしろ、無意識に相手に伝える手段を「書く」から「話す」に切り替えているはずだ。

 

LINE等のメッセージサービスで友達とやりとりしていて、使っていて何か漠然とした違和感を感じることがあった。

 

それは、メッセージサービスでの相手とのやり取りに、会話するのと同等の瞬発力を求めているのに、

メッセージサービスが許している行為が、それに適した「話す」ではなく、「書く」のみという、

「特性と矛盾したインタフェース」であるということ。

 

今まで感じていた漠然な思いを、自分なりに結論に導くことができ、なんか、少しスッキリした。

「池上彰の教養のススメ」読みました。

池上彰の教養のススメ」読みました。

http://www.amazon.co.jp/池上彰の教養のススメ-東京工業大学リベラルアーツセンター篇-池上-彰/dp/4822274373/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1427612456&sr=8-1&keywords=池上彰の教養のススメ

 

大学教育において「実社会で役にたたない。」と思われがちな教養科目を削り、

「すぐに役に立つ」実用的は科目が重視されている傾向について危惧し、

「そもそも教養って何?」というところから、その効能と重要性について説いている。

 

今の社会、既存のルールが早いサイクルで二転三転する中、

その都度ニーズに合った新しいサービスが求められ、

各企業がその新しいサービスを提供するため、創造性が必要とされてきている。

その中に日本企業が対応しきれない理由として「教養がない」ことを挙げており、

教養というものが今の社会でどれほど重要なのかを様々な形で説明している。

 

その中で、教養が役に立った事例の1つにスティーブ・ジョブスを挙げている。

ジョブスは大学で「カリグラフィー(西洋書道)」に傾倒しており、

そのおかげでMacintoshを生み出すことができたと本人も語っている。

 

確かに、Macintoshには使うほどに馴染むような操作感があり、

数値のみでしか商品の良さをアピールできない他のPCとは明らかに一線を画する。

もし、ジョブスにIT以外の知識がなかったら、こういう独創的は商品は生まれなかっただろうと思う。

 

また、ジョブスについては他に禅に興味があったのは有名で、

禅の「シンプル・イズ・ベスト」な考え方が、Apple製品にも反映されているようにと思う。

 

「教養とは何か」については、多様性があるためとても全てを語りつくせないが、

あえて、自分の言葉「教養とは何か」についで述べさせていただくと、

教養とはつまるところ

「みそ汁とかで言うところの出汁みたいなもので、それ自体は味はしないが、

何かと一緒に入れることで、素材の味をおおいに引きたたせるもの」だと考えている。

 

出汁をとっていないみそ汁がうまいわけはないのと同じで、教養が伴わない技術など有効ははずもない。

 

「教養なんて必要ない」と考えている人は、

おそらく出汁をとっていないみそ汁を「うまい、うまい」と食べているのだろう。

 

教養のススメ。おすすめです。

年賀状

おしゃべりな奴は嫌いだし、飲みにあまり行かない等、

他人との交流には重きを置いていない俺だが、年賀状は書くようにしている。

 

人との会話する場合、会話する相手を拘束することになるので、

あまり不毛な会話や自分だけ主張している会話は、相手側に対し失礼だと思っている。

その分、年賀状だと、自分の主張を相手を拘束せずに、相手のタイミングで見ることが可能だし、

コメントいっぱい書いても鬱陶しさが激減するので、

人との会話等で、会話する相手に気をつけている俺としてはいい。

 

本当は送りたい人もっといるんだけど、そのためには、送り主にその住所を聞くことになる。

この数年、個人情報の流出に敏感な傾向にあるので、

その年賀状を書くだけのために個人情報である住所をそれだけのために聞くのは相手から警戒をもたれたりされ、

今後の人間関係上、望ましくないと思っており、いささか気後れしている。

 

メールもありがたいが、やはり、年賀状の方が嬉しい。

そう感じるのは、やはり手間暇かかっている方がありがたいと感じるからだろう。

(少し盲目的なところもあるが…)

 

年賀状送ってくれた方、ありがとうございます。

  ※ 痛い宛先欄で送ってきた約1名除く。

 

今年も宜しく。

自社のグループウェアにアクセス不可能となった事件

自社のグループウェアにアクセス不可能となった。

 

そのグループウェアには、WEBによるインターネット経由でアクセス可能(https)だが、

当然誰でも利用可能とさせるわけにはいかないので、システム側で利用するユーザに対し認証を行わせる仕組みとしている。

その認証について、HTTPのBASIC認証とそのシステム側での認証と2段階で認証する仕組みとなっており、

それをくぐり抜けることにより、グループウェアを利用可能となる。

 

iPhoneからアクセスしていたのだが、今回そのようになったポイントとしては、ブラウザにSafari(Ver8.0)を利用していたこと。

 

BASIC認証でログインに成功した場合、ブラウザ側で一時的にIDとパスワードを記憶しているが、

SafariにはそのIDとパスワード記憶が行われない。

  ※ パソコン版(Ver7.1)で普通に使えていたし、iPhoneからだってiOS8にアップデートする前は普通に使えていたのだが…

 

そのため、ログイン成功したとして、

そのグループウェア内で何かしらの操作をするごとに、当然サーバにリクエストを送ることになるのだが、

その際、ブラウザ側でBASIC認証のIDとパスワード記憶していないために、

再度、BASIC認証のログイン画面が表示され、IDとパスワードを入力するはめになる。

 

すなわち、何か行うたびにいちいちBASIC認証のログイン画面が表示され、

IDとパスワード入力を促されることになる。

 

厳密なオペレーションは覚えていないのだが、そのいちいち表示されるログイン画面で何回か入力を誤り、

その結果システム側で認証試行回数超過と判定されたようで、

付与されているアカウントからのアクセスを遮断されてしまった。

 

翌日には復旧したが…

 

まあ、他のブラウザを使えばこの事象は発生しないので大丈夫。

 

以上。

「◦◦さんもダメだと言っていた。」とかいった発言。

よく議論する際に、たまに出てくる「◦◦さんもダメだと言っていた。」とかいう発言。
好きになれない。

といっても、「お前だって言ってんじゃねーか。」とか言い返されるとそれも事実で、
俺もついついこういう発言してしまうこともあったりする...orz

ただ、俺が好きになれないのは、少し違った意図でその発言をしている奴。

そいつは、発言することの本来の目的である、
「その発言によって、現状をより良いものにしたい。」ことを目的で発言をしていない。

そいつの狙いは、ただ一つ。
それを言うことで、これみよがしに自分の存在意義をアピールしたいだけ...
したがって、当然その発言そのものには自身のメッセージは存在しない。中身がない。

また、もしその発言が誤っていたものだとしても、自分自身にその発言責任はこない。
この場合だと、その責任については、「◦◦さん」にポイントが向く。
このように、主体となるものが発言した当人以外のものに向けられるようトリックが仕組まれてて、
自然とそれにに引っかかる。
その発言をする奴は、そんな狡猾な計算も考えに入れている。

ひな壇の上から意見なんて、聞くに値しない。ただのノイズ。
ノイズが大きいコンポは修理するか捨てるに限る。

しかし、今はゴミを捨てるにもコスト(お金)がかかるこのご時世。思わずため息がでる。

「最近の部下は精神面が弱い。」のか?

よく、「最近の部下は少し怒っただけで、意気消沈したりして、その後うまくいかなくなる。」というのをよく聞く。

 

確かにそれは、怒られた部下自身の精神面にも原因があるのかもしれない。

しかし、怒られた部下のその後の動向について、適切に評価しない上司にも問題があると思う。

 

怒った後、その部下が時間を要して良い方向に進んでいても、それを上司がきちんと見て、評価しているのか?

その部下の「反発係数」を正しく評価しているのか?

 

むしろ、そうでないのが多いように思う。

 

要は、怒られただけで反発されたり、意気消沈するようになったのは

部下の問題ではなく、上司が自分の都合だけで部下を怒鳴ったりしているのが

原因なのではないかと考えている。

それはすなわち、自分の都合だけで部下を操っているということであり、

部下を人格を無視した道具として操っているということ。

 

それでは、部下のスキル、モチベーションは低下することはあっても向上することはない。

 

「部下が伸びてこない。ついてこない。」と思っている上司、リーダ、同僚の方々。

あらためて考えて欲しい。