impedance(インピーダンス) 全てに抗え!!

この世の全てに歯向かい、抵抗することでしか存在を見いだせない愚直な漢のオルタナティブ? ブログ

メッセージサービスの矛盾

相手に意図を伝える際、同じ思いを言葉として伝えるにしても、

「話す」のと「書く」のでは、その成り立ち方は異なる。

 

その証拠に、友人との会話をテープレコーダに録音しておいて、その内容をそのまま文章に起こしてみるとよくわかる。

ほぼ間違いなく支離滅裂な文章が完成する。

 

「話す」について、「書く」に比べ意図を早めに伝えることが可能で、また、無意識にその即効性を求められる。

 

その特性上、使われる言葉のついてはその正確性よりも、それを発信するタイミング、スピードが重要だったりする。

また、「話す」において、実際のところ、言葉だけで意図のやり取りをしておらず、

会話する際の身振り手振りや当事者間で置かれている状況等の外的要因が、無意識に有効活用されている。

そのため、言葉が細かいところで意味が誤っていたとしても、

当事者間の頭の中でうまいこと訂正され、適切に意思の通達が行える仕組みとなっている。

 

よく言われる「話し言葉」とは、あまり時間をかけられずに瞬発性を求められる

「話す」行為において、適した言葉なのだと思う。

 

それに対し「書く」については、「話す」に比べ、言葉の正確性が求められる。

それは、「書く」手段での当事者間の意思疎通する場合、共有している状況に相違が発生する可能性が高く、

そのことにより「話す」際に無意識に利用していた外的要因を有効活用しにくいためである。

その分、チョイスする言葉に高い精度が求められる。

 

ただし、「書く」については「話す」に比べ、あまり意思の通達に即効性は求められない。

急いで相手に思いを伝える際、瞬間的に精度の高い文書を記載できるに越したことはないのだが、

その場合はむしろ、無意識に相手に伝える手段を「書く」から「話す」に切り替えているはずだ。

 

LINE等のメッセージサービスで友達とやりとりしていて、使っていて何か漠然とした違和感を感じることがあった。

 

それは、メッセージサービスでの相手とのやり取りに、会話するのと同等の瞬発力を求めているのに、

メッセージサービスが許している行為が、それに適した「話す」ではなく、「書く」のみという、

「特性と矛盾したインタフェース」であるということ。

 

今まで感じていた漠然な思いを、自分なりに結論に導くことができ、なんか、少しスッキリした。