雨が降れば傘をさす
「雨が降れば傘をさす」
言わずとしれた松下幸之助の名言である。
この言葉の意味は皆さんご存知だろう。
しかし、俺は今まで生きてきて何年か前まで、
この言葉の意味を「当たり前のことを当たり前にやる」ことを指しているものと思っていた。
その後、名著「道をひらく」を読んで、
どうやら「最悪のケース(雨)に、前もって(傘を)備えておけ」という意味であることを初めて知った。
今まで勘違いして認識していたわけで、情けない話だが、
その勘違いした理由として
今まで何十年と生きてきて、何事において「当たり前のことを当たり前に行う」ことが、
簡単にとらえている人がいる中で、「実はとても難しい」ことを常々感じていたことに起因している。
その瞬間、瞬間では、誰だって行えるのだが、
何ヶ月や何年といった、長いスパンでそれを行うのは結構エネルギーを要する。
実際、長いスパンにおいて、相当するパフォーマンスを継続しきれる人間はなかなかいない。
また、自分自身の心身がすぐれないケースや、周りから何かしらのプレッシャーにさらされた環境の中で、
それに相当するパフォーマンスを1寸たりとも損なわずに、最大限に発揮すること自体、
とても難しいものと感じている。
個人の見解として、
「当たり前のことを当たり前にやる」ことは「究極の技術」だと考えている。
意味について勘違いはしたもの、
「雨が降れば傘をさす」という言葉を前にしたときに
自分が「当たり前のことを当たり前にやることの難しさ、尊さ」と言う風に感じたことについて、
その見解が決して間違っていないと思うし、
個人としては、この誤った認識によって導かれた見解について尊いと感じている。
※ もちろん、本来の意味である「最悪のケースに備える」ことも、
とても大切で同様に尊いと考えている。
今後もこういう含蓄の含んだ発言に接したいとともに、
その発言を前にしたとき、その真理について自分自身の中から適切な答えを導いていきたい。
それが自分が「生きている」ということであると考えているから…