impedance(インピーダンス) 全てに抗え!!

この世の全てに歯向かい、抵抗することでしか存在を見いだせない愚直な漢のオルタナティブ? ブログ

将棋とF1は似ている

漠然とではあるが、以下に共通事項を整理。

 

  (a).個性の見え方

        F1の世界では、各コースのコーナリングやレース時のオーバテイクポイントはほぼ確立されてきており、

        どのマシンのドライバーも、基本的には同じラインで走行する。

      しかし、だからといってセナやプロストのドライビングには個性がないのかというとそうではない。

      セナの神がかった予選でのアタックや、

      プロストの「一筆書き」と表現される美しいコーナリングや、

      タイヤに優しいと称される「早く走ることより、誰よりも最初にゴールすればいい」という

      本戦向きのドライビングにその人の個性がかいま見える。

 

      そして何より、常に誰よりも早くゴールにたどり着いている事実こそが、

      個性が強いことを証明している。

 

      将棋の世界もそれと同様、今は定跡が日進月歩で確立されてきており、

      棋譜を見ただけでは誰が指したかはわからない。

      かといって、谷川浩司羽生善治の将棋には個性がないのかというとそうではない。 

      序盤での端歩をつくタイミング(なかなか伝わらないと思うが…)や、

      中、終盤の指しまわしに棋風が如実に現れる。

      特に谷川浩司の「光速の寄せ」の称されるスピード感あふれる終盤術は、誰も真似できないだろうと思う。

      その「誰にも真似出来ない技術」こそが個性なのだと思う。

 

        個性というと、一流モデルのファッションや、お笑い芸人の芸風みたいな感じの

      見た目に分かりやすいものを想像しがちである。

      将棋やF1ではその特性上、上記のような分かりやすい形にはなりにくいのだが、

      確実に個性は存在しているといえるし、

      そこには上記にも劣らない、芯の通った強い主張を感じている。

 

  (b).自分自身の力だけが頼り。

        将棋は1対1で行うものなので、対局中は誰も手助けできない。

      そのため、自分自身の力で最善手を選択し、勝利に導かなくてならない。

 

      F1もメカニックによるのマシンセッティングや、レースでの無線でのチームから指示があるものの、

      時速300kmの世界で、常にレースコンディションが変化している中で、

      いちいちチームの指示をあてにできるわけがなく、

      自分自身で判断して、適切なコーナリングや他社へのオーバテイク等を行い、

      誰よりもゴールまでたどり着かなければならない。

      そこには、他人の助けを求める猶予はなく、常に自分自身の判断を下してドライビングをしなければならない。

 

  (c).座っておこなう。

      これはどうでもいいが…

 

時速300kmは出るマシンを操り、1/100秒単位での勝負が求められるF1の世界と

たがいに相手の動向を先読みしながら、適切な手を選択し、

1局終了するのに、長くても2日間かけて行うこともあるスローな将棋の世界。

まったく異質な世界だと思われているが、個人的には結構似ていると思っている。

 

この見解、どうだろうか?