安全「神話」など存在しない
よく、何気なく利用しているサービスで長い間問題なく提供されているものについて、
さも何もしなくても永久に、かつ無尽蔵にそれが保証されるように都合よく思い込み、
ひとによってそれを「安全神話」とかいって人がいる。
誓っていうが、それは「神話」ではない。
そのサービスが何年も問題が起きずに正常に稼働し続けているものには、
それが起きないように保守、メンテナンス等、
目立たないところで未然に事故を防ぐ努力している人間が必ず存在している。
その賜物なのであって、決して奇跡的に起こっているものではない。
それを「安全神話」とかいうと
そのサービスが「何もしなくても安全で当然」なんて都合よく捉えられているようで、
その安全を維持する努力が報われないような気がする。
事故が起きないという認識だけならまだいいが、
もっと問題なのは、長年何も問題が起きていないからといって、
それを未然に防ぐことに労力をさかなくていいと都合良く考えていること。
そういう人間に限って、
トラブルが起こると「何で起きたんだ」とかいって周りに責任を求めるわけで...
安全であることが長い間維持されていることを「蛇口をひねれば水が出る」ほどに
何もしなくても得られるものと勘違いしていて、
それが、どれだけ大変で労力を必要とするのかをわかっていないんだよね。
長い間安全であることは「神話」なんていう宗教めいたものではないということ。
安全が保証されるのは、そのために努力しているために起こっている必然であり、
その努力を怠れば、その安全が崩壊するのも必然なのだということ。
そこを誤らないでほしい。