野性のない理性は役に立たない。
職業柄、業務の大半がパソコンを利用することが殆ど。
そのため、何するにしても、どうしてもパソコンに依存する傾向が強くなってしまう。
その影響だろう。
打ち合わせとかでノートを取るとき、文字を早くかつ正確に書けなくなってきている。
また、トラブル対応等でホワイトボートを利用してその事象について説明を要する際、
思うような図が書けず、その結果、状況を適切に伝えることが難しいと感じるようになった。
大変まずいと思っている。
パソコン等の普及により、ノートで文字を書くことが圧倒的に少なくなったとしても、
文字を書くことについて必要不可欠のものであることには全く変わりないと思っている。
パソコンを使って文章を入力する場合、
誤字脱字の判断がパソコンまかせで自分で出来ないのはおかしいし、
それでは、せっかくいい道具を使っても、そのパフォーマンスを十分に発揮できない。
第一、もしパソコンが無くなった場合、どのようにして記録を残すのだろうか?
「媒体上で意思を伝える」原点である文字を書くことをおろそかにするのは間違っていると思う。
話は変わるが、最近は車でも、
運転者が意識しなくても、システム側で安全対策が施されているのが主流となりつつあるが、
本来「車を安全に運転する」行為は、運転者側で常に意識して行うべきものである。
それを、必要以上にシステムに依存している状況について、個人的には危惧を感じている。
理性があっても、野性の含んでいない理性なんて、何の役にも立たないと思っている。
以上。
久々のブログ更新。