将棋のアマチュア化(良い意味で)
将棋の話を書きたい。
自分が将棋に傾倒した時期(1991-1993)は指される戦法は殆どが矢倉。
しかも当時は森下システム全盛期でタイトル戦は殆ど矢倉だったのを覚えている。
しかし、今は振り飛車等他の戦法も普通にお見受けするようになった。
当時は全くと行っていいほど見られなかった相振り飛車等も指され、
本当に多彩になったように思う。
その要因について、今まではプロ棋士間で居飛車党、振り飛車党といった風に、
基本的にその棋士での得意戦法は固定化される傾向にあったが、
それにより相手に事前に研究、対策を練られやすいため損と感じ、
その枠に依存せず様々は戦法を指しこなす棋士が増えたこともある。
それも大きいと感じているが、しかし、こうして将棋の戦法が多彩化した最大の要因として、
プロ棋士がアマチュアの発想を柔軟に取り入れているように感じる。
当時、「振り飛車には角交換」といって、受け主体の戦法である振り飛車について
「角交換は居飛車側の得」、「振り飛車は角交換させない」というのが
当たり前といっていいほどのセオリーだったのだが、
むしろ、振り飛車側から積極的に角交換を行うほうが当たり前といっていい。
また、一手損角替わり腰かけ銀みたいにあえて手損する戦法や、
藤井システムのように居玉から攻撃を仕掛けるのをよしとする戦法なんて、
当時の発想では思い浮かぶことすらなかったのではなかろうか。
昔常識とされてきた将棋のセオリーが一部、あるい全てが覆されてきている。
しかし、上記傾向について別の視点で考えれると、
こういう発想は、プロに比べてセオリーに対して執着心の薄いアマチュアのほうが思いつきそうだ。
確かに、振り飛車側から積極的に角交換して、
攻撃に転じるセンスはプロよりむしろ、アマチュアの方が好みそうだ。
自分が近年の将棋を見てて、アマチュアっぽさ(良い意味で…)を感じているのだが、
それは、戦法が多彩となったことと、既存のセオリーに執着しない指し回しが多く見受けられること
この2点が要因として大きいと思う。
おそらく、プロ棋士の間で、今までの将棋にどこか限界みたいなものを感じていたのではないのだろうか。
その限界を打破するため、既存の概念に捕らわれるのをやめて、様々な発想を取り入れ、指し手に反映されているように推測している。
その結果、将棋がまた別の方向性を模索しているように感じている。
近年ではアマチュアでの指した手がプロの実戦で現れ、おおいに注目されるケースも幾つかある。
また、電王戦等でコンピュータの筋にはまらない指し手が、話題となり、プロを大いに悩ますこともよく見かける。
よくよく考えれば、今では振り飛車対策として当たり前のように指されている穴熊なんかも、
指された当初はあまり見向きされなかったようだ。
それについても、おそらくは理解できるセンスが追いついてなかったのだろうと思慮できる。
今後、将棋自体がどう広く、かつ深く展開されるのか興味深い。