上司の言葉
結構上司の悪口を言っているが、
今回は、その上司に助けられたことについて書きたい。
今配属しているプロジェクトは、3ヶ月単位でシステムをバージョンアップするサイクルで進めている。
その中で、2013年5月中旬に開放する案件について、結構開発規模が大きく、
2013年3月下旬から5月中旬まで、個人的にはとてもハードな状況だった。
スケジュールがシビアなうえ、自分自身のスキルが不足していたところもあり、とても苦戦していた。
その忙しい状況の中、4月下旬頃、
会社の施策である今年度上期の目標設定について上司と話す必要があったため、
1分でも惜しいわずかな時間を割いて、現場を離れ上司との面談を行った。
その面談の中で、自分の境遇について話題にのぼったのでありのまま話したところ、
親身に同情してもらいつつも、業務に対しては「故障はゼロにしろ!!」、「乗り越えろよ!!」といった厳しいお言葉。
個人としての優しさと業務への厳しさが高次元におり混じったメッセージ。
まだ先行きが見えない状況の中だったが、とても肩の荷が下りたのを覚えている。
その後もハードな状況は続いたが、
何とか期限までには運用に耐えうる品質のものを提供でき、今時点順調に稼働している。
そのハードな状況を何とか乗り越えきれたのは、その上司のメッセージによるところが大きい。
こういう上司に出会えたことは大きな財産だと思う。(悪口書いててスイマセン...)
やはり、今の会社を選択したのは間違ってないと確信している。
「残酷であること」の救い。
最近、自殺のニュースをよく耳にする。
偏見気味で恐縮だが、芸能人や漫画家の方で自殺する人間が多いように感じている。
芸能人や漫画家は、その芸や作品の善し悪しについて、判定基準に明確な部分がなく、あやふやな部分がある。
それ自体は尊いものかもしれないのだが、周りからの適切はリスペクトが得られず、
本人の思惑とかけ離れて勝手にことが進んでしまうケースがある。
その場合、自分の芸の方向性が本来のものと適切なのか誤っているのか、
誰も的確に宣告してくれず、ずっと結論つかず、ずっとあやふやなままで進んでしまうことになる。
当初、それなりの自信をもっていたものが、ことが進むにつれ、結果として現れないようになってくる。
まずいと思って、いろいろ試行錯誤するのだが、結果はいい具合に進展する気配すらなくなってくる。
そうこうしているうちに時は容赦なく経過し、どうすればいいのがさえ見通しがつかないようになり、
遂には自分自身でさえもその出来具合が適切に判断できなくなり、段々に居場所が狭まり、
最終的には真綿で首がしまるような感覚で自殺に追い込まれるように感じている。
その点、スポーツ選手の場合は、パフォーマンスの善し悪しが結果としていやおうなしに現れる。
捉えようによっては、そのある意味「残酷であること」が救いとなっているように感じる。
自分も社会人となって結構長い。
どんだけ必死な思いで頑張っても結果が出せず、上司に見限られた。
また、諸事情によりやむなく異動、退職となったケースもお見受けする。自分もその経験がある。
「かわいそう」、「報われない」だと思う反面、
それは別の意味でいえば「救われている」ということでもあるのだなと思った。
iCloud確かに便利。でもあえて使わないのもあるよ。
iCloud確かに便利。
だけどiPhoneの電話帳では同期しない設定にしている。
電話帳には当然ながら個人の携帯電話番号のリストが登録されている。
その個人を容易に識別しやすい情報を、むやみやたらに他媒体に転送してほしくないから。
個人情報の扱いをぞんざいなものにしたくないから。
あと、カレンダー、リマインダーについても同期していない。
厳密には同期する設定としているが、利用していない。
スケジュール管理やTodo管理はシステム手帳で手書で管理にしているため、
iPhoneやMacをスケジュール管理等に利用していない。したがって、同期をとる必要性がない。
スケジュール等を誰かとと共有する用途があればまた違う話なのだが、
俺の周りにその必要性のある人はいない。
と、なんだかんだいっているが、
メールについてはMacのみ参照可能だったのが、Phoneでも見れるので便利だと思うし、
ブックマークの共有化も、家でMacでブックマークした有益な情報を保有しているサイトが、
職場で必要となったときiPhoneでなんなく閲覧可能となったのは重宝している。
また、「iPhoneを探す」機能も、無くして慌てたことを考えるとすごく有益だと思う。
せっかくの素晴らしい機能。
利用しない手はないと思うので、自分のスタンスを模索しているところ。
でも、俺ってアナログ人間だな。としみじみ思う。
サーバへの各種データの保存について
最近、各種アプリケーションでデータのクラウド化が当たり前のように搭載されている。
そのアプリケーションで何かしらデータを入力、登録すると
ユーザが意識しなくとも、バックグラウンドでそのデータがサーバに格納されるようになっている。
それにより、複数の端末からでも同じエンティティのデータを
検索、更新がスマートに行えるようになり、そのデータがさらに洗練されたものとなる。
確かにとても便利だと思う。
しかし、不要なデータまでサーバに格納していないだろうか?
なんでもかんでもデータをサーバに保存するのは、ゴミの不法投棄みたいな感じがしており、気が引ける。
もちろん、なんらかのタイミングでデータメンテナンスしていれば問題無いのだが、
サーバの容量だって当然限界があるので、闇雲にデータを格納するのはいかがなものかと思う。
無尽蔵だと勘違いしていないだろうか?
サーバへ保存するデータについては、本当に必要なものだけにするべきであると思う。
自分がEvernote、Dropbox等の類のアプリを利用していないのは、この考えによるものである。
※ 自分が効率的に使いこなす術を持ち合わせていないだけかもしれないけども...
こういう考え、古いのだろうか?
社内の周知事項を、宛先をBCCに指定してメールを送る。何でわざわざ...
社内の周知事項について、その内容を電子メールでいただくのだが、
そのメールのついて、宛先をBCCで指定し、
誰宛に送信しているのかを、わざわざ判別不明にして送信してくる上司がいる。
誰に送信したらわからないから、
関連メンバーにその内容を知っているかどうかわざわざ確認したよ。
宛先に個人用のメールアドレスがあれば、
それアドレスをいたずら等で悪用されたくないという意味で、
BCCとするのはまだわからないわけではないが、
どうせ、全員、会社のグループウェアのドメインだろうがよ。
セキュリティの観点から「個人情報を特定させたくないという」意図なのだろうが、
グループウェアのメールアドレスをしようしているのなら、そのメールアドレスについては、
グループウェア利用している関係者全てにアドレス帳として公開されているるわけだし、
それれならば、宛先を隠蔽することに意味がないように思う。
誰を対象にして、周知しているのかが不明なため(内容からだいたいわかるけど)、
そのメールの内容について、関連の人間を巻き込んでの議論がしにくいし、
その内容が、関連メンバー分の同意を確認し、それを取りまとめてのリプライを求めている場合、
本当にそのメンバー各位にその内容が届いているかががとてもわかりづらく、余計な手間が多くなるように思う。
メリットとなる要素が薄く、本来、適切に使用していれば起こらなかったであろう
デメリットな面が増えるように思う。
今回そのメールを送った上司は、そのことを理解できないように感じている。
周りの人間の意見やアラーム等について、適切に認知して、対処する部分について、
若干ウイークポイントがあるように感じている。
その上司自体決して悪い人間ではなく、上司としてしかるべき仕事は行っているのも事実なのだが、
周りの状況に、適切に耳を傾けてもらえない実情では、
メンバー各位の会社へのモチベーション、業務貢献する意識は高まりにくいのだろうなとも思った。
痛みを知らない人間の発言
ある優秀なエンジニア達がいる。
とある業務をシステム化するにあたって、
彼らはその業務について熟知しており、システム化する要件もきちんと把握している。
お客様とのやりとりも要領を得ており、説明もとても簡潔。
当然、頭もいい。発想も柔軟性に富んでいる。
頭のカチカチに堅く、かつ、瞬発力が鈍い俺には、それを理解するのが手いっぱい。
指摘されて、その場では理解できずに、何時間後にその意図に気がついたことも1回や2回ではない。…orz
それならまだしも、変に知ったかぶりしてて、その意図を完全に理解していないものをあるかもしれない。…orz
とても優秀な方達だと思う。羨ましい。
でも、ただ、これだけは言わせてほしい。
彼らは、それを実現するにあたって生じる「痛みを知らない」ということ。
極論するとイメージだけを語っており、
そのイメージを実際に実現する技能については、あまり持ち合わせていないように思う。
実際、彼らの業務内容を拝見すると、基本設計書は作るのだが、
その実装については自分でやらずに別の部門に委託している。
それならまだ普通にあることなのだが、
問題はその別の部門からでき上がったプロダクトの品質担保について、
自分でとらずにまた別の部門に委託していること。
自ら設計したプロダクトについて、自分自身で担保していない。
別の見方をすると漠然としたイメージだけ提示し、
その実現にあたっていやおうなしに生じる高負荷は作業や面倒な作業については、明らかに避けているように感じる。
その提示してきたイメージについても、十二分に洗練されたものならまだいいが、現実的でないものも結構目に付く。
設計書(イメージ)だけ作って、その実現をよそにぶん投げる。
そのでき上がったものの確認も自分でとらずに、また別の部門にぶん投げる。
発案する内容自体はとても素晴らしいものではあるが、所詮、彼らは痛みを知らない人間。
そんな人間の発言には、どこか説得力に欠け、完全に賛同しきれないものを感じずにはいられない。
とにかく彼らには「設計書だけ作って、その担保を自分自身で行わない。」という行為が、
「普通ではない」、「非常識」なんだという認識を持って欲しいととみに思う。
なれなれしい奴
昔からそうなのだが、なれなれしい奴が大嫌い。
人のテリトリーに我が物顔で入ってきたり、プライベートな話をしつこく聞いてくる奴。
それを必要以上に周りの人に言いふらす奴。
そういう奴は絶対影で悪口を言う。
そういう奴は絶対仲間を売る。
俺は、そういう人間には心開かないし、可能な限り、口も利きたくない。