作業者と管理者の心理の違い。
ある作業に従事していると、
作業者とその作業を監督している管理者との間で齟齬が生じることがままある。
作業者は実際に作業に従事しているため、当然担当している作業の出来具合について把握している。
一方、管理者はその作業を直接行っていないため、
その作業が適切に実施されているか、意図したものとなっているのかを厳密に知りうることができない。
なので、作業者にその作業が適切に実施されたことを証明するもの(以下エビデンスと記述)を作成、提出させ、
その内容から作業が適切に行われているかを判断する。
上記にも書いたが、作業者は実際にその作業に従事しているので、作業の出来具合について隅々まで把握している。
しかし、それを経験則として感覚的に昇華しているゆえ、
それを図や言葉に詳細に表現して、他の人にも理解出来るレベルまでに体裁を整えるのが少々難しく感じたりする。
そのため、作業終了時や作業の合間での、
そのエビデンス作成が結構手間どり、無視できないほどの稼働をとられたりして、負担に感じることがある。
エビデンス作成自体は作業品質を管理する上では重要だということについて認識はあるし、
やらねばならないという意識はある。頭ではわかっている。
でも、エビデンス作成の目的としては、対象の作業が適切に行われているのかを証明、報告するためのもので、
別の言い方をすれば、それ以上のものではないので、
エビデンスをより丁寧なものにしたところで、対象の作業自体の品質が向上するわけではない。
作業者の心理からすれば、エビデンスがなくったってその作業の出来を証明するものがないだけで、
作業そのものは従事した自身がその出来を把握できるので、問題なくおこなえるものと思ってしまう。
そんなエビデンス作成のような作業自体の品質への寄与が薄いものに時間を費やすのなら、
その時間を作業に関連するものに費やした方が、より効果があがるのになと思ったりする。
一方、管理者はその性質上、各作業者の作業が意図したものになっているのかを正確に把握できない。
作業を管理する役割を担っているのだが、その管理している各作業の作業品質が曖昧であるという状況はとても不安に陥る。
そのため、割り振った作業がどの程度おこなっているのか、意図したものとなっているかというのを
自分が作業者として作業したことのように、きめ細かく把握しておく必要がある。
管理者の心理からすれば、作業者から「順調です。」、「完了しました。」と口頭だけで報告されても、
それを裏付けるものがないと「それ信じていいのかよ。」という心理になる。
もし、その報告が意図しているもの異なるものだとしたら、「管理者が作業を管理していない」という
管理者としての役割を満たしていないことになるから。
なので、作業が十分に行われていることを証明するよりどころとして、詳細なエビデンスは欲しい。
と、あれこれ書いたが、管理者からすれば、作業品質をきちんとに管理したいので、
作業についての詳細な情報としてエビデンスは多少手間かもしれないけど提示してほしい。
でも、作業者からすれば、エビデンスの内容でしか評価してもらえないというのはどうかとも思うし、
もうすこし作業者の心理になって考えて欲しいなと思うことがままあったりする。
人にもよるだろうが、この溝がなかなか埋まらない。